2011年9月30日金曜日

風渡る

この日は比較的強い風が吹いていました。草原に吹き渡る風が描き出す模様は風の形を写し
私に風の姿を見せてくれました。見えないものも見えることがあるという新鮮な驚き。そして、
いままでに出会っていても見過ごしていたかも知れないという事にも気付かされました。
この草原は耕作放棄地です。美しかった大地のパッチワークも歯抜け状態が多いと聞きました。

2011年9月29日木曜日

秋晴れ

空がとても高く青く澄んで絹雲が秋を象徴して、眼の前には見渡す限り畑が広がる。私は今、
北海道にいるんだな、そんな想いでしばらく佇んでいました。
ご夫婦でしょうか広い畑の中、ポツンと二人だけで働いておられました。

2011年9月28日水曜日

広い

広い広い畑の中で鍬で作業している人を見かけました。機械作業の後で細かい所を手直し
しているんだと思いますが、開拓当時はこんな広大なところをこつこつと少しずつ手だけで、
開いていった先人たちのことを思うと、ただただ頭が下がります。

2011年9月27日火曜日

樹影

珍しく昼間の写真です。ビートの畑でしょうか、長く伸びた影が緑の鮮やかさをよけいに
際立たせてくれました。その緑が黄葉をより美しく見せてくれています。
カラマツ林は現在、防風林としての役割が多いようです。

2011年9月26日月曜日

日射し傾く

起伏の連なる農耕の大地が開拓した人たちの想像を絶する苦労の結実であったであろう事は
容易に想像できます。それだけに美しい。傾いた日射しが奥行きと広がりを表現してくれました。

2011年9月25日日曜日

十勝連峰を望んで

夕日に染まるカラマツと十勝連峰です。白く光る幹はシラカバでしょう。山好きな私にとって
この光景はまさに北海道です。林の向こうに見えるのは野焼きの煙です。

2011年9月24日土曜日

夕餉の支度

農耕地の近くのカラマツ林はその殆どが防風林です。陽が西に傾いてカラマツの天辺だけが
赤く染まっています、遠くのほうでは野焼きの煙がたなびいています。手前の青い屋根の家では
夕餉の支度でも始まっているのでしょうか、煙突から昇る煙も赤く染まっています。カラマツの黄葉
するこの時期、時間は結構寒いのですが、人の営みが身近に感じられて暖かく感じました。

2011年9月23日金曜日

落葉松の苗

カラマツの苗畑がありました。現在も植林されているようです。カラマツは日本固有種であり、
中部山岳地帯に多く見受けらるようです。生育が早く北海道の気候にも適していたこともあり
急速にその面積が拡大していきました。木材としての利用価値に難があったようですが最近は
乾燥技術の改善でその価値が見直されてきたのは喜ばしいことです。
カラマツは新緑も黄葉も美しく落葉することで森の中が明るいということは特筆すべきことです。

2011年9月22日木曜日

カラマツ林

秋の北海道を象徴するのは、まず第一にカラマツの黄葉でしょう。その黄葉の時期は短く
一週間程度と聞いています。さて、このカラマツ、明治以前は北海道にはなかったことは
意外に知られていません。明治になって長野県のカラマツを移植したことが始まりだそうです。
この風景も北海道の自然と人の手によって作られたものです。そう思うとよけい美しい。

2011年9月21日水曜日

大地に虹

これも北海道のスケールでしょうか。地面に直接、夕日の色が映し出されました。
遮蔽物のない広い耕作地がなければとても見ることのできる光景ではありません。
人と自然が作りだした見事な作品です。

2011年9月20日火曜日

夕暮れの大地

北海道の風景はどこをとってもそのスケールの大きさで、私の写欲を満足させてくれますが
特に人の営みが風景に結びついている耕作地が、最も北海道らしさを見せてくれていると
思います。この日は長く伸びた牧草ロールの影と遠くに登る煙が夕日に映えて、その素晴
らしさに時の経つのも忘れていました。

2011年9月19日月曜日

トンガリ帽子の

北海道の日暮はとても速い。私のように本州の西端に近い松江の住人には特にそう感じます。
この写真の撮影は3時頃だったと思います。斜光線のおかげで何でもない風景が詩情豊かな
風景に変わりました。

2011年9月18日日曜日

帰り道

学校帰りでしょう。雨降りの中、それでも楽しそうに語らいながら、一人は自転車を押しながら
女学生が歩いてきました。カメラを構える私のすぐ前ではマイペースなハトが遊んでいました。
ハトが明るい所に来るのを待って撮りました。

2011年9月17日土曜日

存在

出会ったのは、朝。犬の散歩をしている時です。側溝の中からこちらを睨み付けていました。
すぐ逃げると思っていましたが、その存在を誇示するように私を睨んだまま動きません。
急いでカメラを構えました。何枚か撮って私が、その場を去るまで動きませんでした。
ちなみに、後ろの影は道路標識のポールです。

2011年9月16日金曜日

らくがき

上京した際、暇つぶしに訪れた公園で見つけた落書きです。面白いのでカメラを構えた時
偶然に鳩がフレームの中に入って来ました。予期せぬ出会いは写真だけが持つ表現手段
だと思います。計算通りに写った写真ほどつまらないものはないと思います。

2011年9月15日木曜日

あめんぼ

水辺を歩いていました、よく晴れてとても暑い日でした。ひまわりが水に映っています。直接
観ると余計に暑さを感じるような花ですが、水面にある花はとても涼しげです。よくみると水の
上であめんぼが遊んでいました。暑さを忘れたひと時でした。

2011年9月14日水曜日

波紋

池に新緑の薄緑が映り込んでとてもきれいでした。私が池の縁に立っていると何を思ったか
鯉が近寄って来ました。水面に顔を出して寄ってきていましたが、急に興味をなくしたのか、
潜り始めました。大きな波紋が優しい繊細な波紋に変わりました。

2011年9月13日火曜日

怪物君

ある日の海岸です。打ち上げられた流れ藻が目に留まりました。
空には怪しげな雲、あたりは少し暗くなっていました。私にはこの流れ藻が、
今にも沖に向かって歩き出そうとしているように見えました。

2011年9月12日月曜日

朝霧

朝霧の中を散策していると、露を宿した月見草の花が静けさを纏って浮かんでいました。
霧が少し晴れてきたのでしょう遠くのほうに赤みが出てきました。それにしても、静かです。
霧の流れる音が聞こえてきそうな気がします。

2011年9月11日日曜日

3000メートルの遊歩道

北岳から間の岳の間の日本で唯一の3000メートルの縦走路です。北岳への登りは、
広河原からが一般的な起点ですが白峰お池、草スベリを経て頂上に至るルートと大樺沢、
八本歯のコルをほぼ直登して頂上直下の吊尾根に出るコースがあります。前者は巻き道が
多い分楽ですが時間が掛ります。どちらにしても結構きつい登りです。それでも、何度も
来たくなるのは子の遊歩道が待っているからです。

甲斐駒より仙丈岳を望む

七合目小屋から2時間30分で頂上に至る。写真は隣の仙丈岳です。南アルプスの女王と
呼ばれており、緩やかな山稜を見せながらそれでいてスケールの大きい山です。
遠くに見えるのは北アルプスです。今回は一気に北沢峠まで下りて北岳に向かいました。

2011年9月9日金曜日

屏風岩を

 五合目小屋から七合目小屋まで1時間と簡単に説明しましたが、実は小屋を
出発してすぐに写真のような屏風岩の岩登りとなります。要所要所に鎖と足場が
設置されているので危険はないのですが体力を消耗します。日本アルプスの数多
ある登山道の中でも上位にランクされる道であると後で知りました。

2011年9月8日木曜日

甲斐駒五合目小屋にて

竹宇駒ケ岳神社で登山の安全を祈願して登ります。神社の付近の標高が800メートルで
すぐに急登となり黒戸尾根、別名刃渡りと呼ばれるやせ尾根を経て登ること5時間40分、
やっとの思いでたどり着いたのが五合目小屋(2100m)、そこで迎えてくれたのがとぼけた
顔をした小屋の飼い犬。なごみました。さらに1時間、今日の泊まりは7合目小屋です。
なお、現在、五合目小屋は廃業となりありません。

2011年9月7日水曜日

北岳と甲斐駒ケ岳

北岳の向こうで白く輝く頂を見せて、我々山人の目を引き付ける山が甲斐駒ケ岳です。
信仰の対象として南アルプスでは最も有名な山ではないでしょうか。麓の竹宇と横手に
駒ケ岳神社があり、両方に登山口があります。信仰登山の表参道ですが標高差が
2200メートルあり。しかも、険しい道の連続で覚悟のいる山です。3千メートルの遊歩道
から撮影しました。

2011年9月6日火曜日

浮かぶ富士

呆然としていた私はシャッターを切ることを忘れていました。気が付くと急速にガスが
消えて行きました。間の岳は3189メートル、富士山は3776メートル。その差はたかが
587メートル。それでも圧倒的に高く、その存在感は際立っていました。私は富士山には
2度登っていますが、富士は登るより観るほうがはるかに良い。それもなるべく高い所から
観るほうが富士の偉大さがわかると思います。

2011年9月5日月曜日

北岳を望む

日本第2の高峰北岳(3192m)です。南アルプス赤石山脈北部にそびえる白根三山の一峰で
山梨県の西部にあります。この北岳から隣の間の岳(3189m)までの稜線は日本で唯一の
3000メートルの散歩ができる道です。私が初めてこの稜線を歩いた時はあいにくの天候で
濃い霧で視界は数メートルでした、その中を手探り状態でやっとの思いで間の岳の頂上に
立った時の感動は今でも忘れることができません。頂上は雲の上にあり、雲海の彼方に
富士山が圧倒的な高さで浮かんでいました。私は言葉を忘れて呆然と立ちすくんでいました。

2011年9月4日日曜日

月見ガ丘遠望(岩樋山)

山また山の連なり、私はこんな風景が大好きです。中国山地も本場に劣らず高さこそ違えど
深いですね。山陰地方は山蔭ということでマイナス面を強調されがちですが、逆に最近大型化
している台風などの災害から、この山地が守ってくれていることを思えば誠に有難い存在だと
思える今日この頃です。

2011年9月3日土曜日

薊に集う

8月29日道後山に登りました。とても登り易い山で少し登ると草原のような広い稜線になりました。
昭和30年代まで放牧が行われていたとの事で、その頃は灌木などはなく一面の牧草地で天上の
楽園のような所だったのでしょう。ポツンと取り残されたような薊の群落がありました。
ツマグロヒョウモンとキアゲハが群れていました。心地よい風が吹いていました。

2011年9月2日金曜日

神事を終えて

夕日の中を帰る、象徴的な光景です。スサノウには夜あるいは黄泉のイメージが付き纏います。そして、
オオクニヌシ(スサノウの子とも6世の孫とも云われる)には多くの別名があります。大黒天、オオナムチノ神
八千矛神、国魂神等々、これら地方神の統合の象徴が大国主命なのです。スサノウは土着の民の象徴で
あり、アマテラスは渡来系民族を象徴しているのではないでしょうか。そして、先住民族の中心地が出雲
だったのではないでしょうか。

2011年9月1日木曜日

夕日を背に

無事、務めを果たして帰途につきます。御幸神事は別名夕日の祭りと言うそうです。記紀神話では
イザナギ、イザナミの夫婦神からアマテラス、スサノウ、ツクヨミの三神が生まれます。アマテラスは
太陽の神格化、ツクヨミは月の神格化。では、スサノウは?これがはっきりしないのです。日御碕神
社はアマテラスの神託によって造営されたことになっています。夕日の後には夜が始まります。